紙の上の思考 Ⅷ
- human figure

Thoughts through Drawing

一条美由紀 経歴
越前谷嘉高 経歴 
本田和博 経歴 
山神悦子 経歴

2023/2/4(土)- 2/19(日)
12:00 - 19:00 月、火休廊

一条美由紀

Human figure/作中の人物について
人の見えている顔は本当の顔ではなく、その裏にはさまざまな悩みや喜びが隠れている。自分も歳を重ね、自分や家族にいつ何があり、明日は今日の続きではない毎日がやってくるかもしれない。今だからこそ歳を重ねた人間の仮面を剥ぎ、そこに映し出された人間の本当の姿を映しだしたいと思っている。

私にとってドローイングとは
わたしにとってドローイングとは心のままに線や面で手早く描いたもの。多分作家によってタブローとドローイングの定義は違ってくるかと思いますが、通常のキャンバスの油彩のように、何日も試行錯誤をしながら意識を重ねていく作品とは違い、その時の瞬時に感じたものを描くのがドローイングだと思います。よってその瞬時に感じたもの、または描きたいものがどの技法を使っているかは関係ありません。私の版画は、ドローイングを版画におこし、刷る時にまたその時々感じたままをインクの乗せ具合やインクの拭き取り具合を変えて表しています。なので、私の中ではドローイングの分類としています。

「ただ淡々と生きてゆくb2」ドライポイント版画、紙、オーガンジー 2022

越前谷嘉高

Human figure/作中の人物について
画中の人物は他のイメージと比べて、空間を体感させ、スケールを決定づける等、特別な価値がある。そして亦、絵画が一つの秩序を持った構造体(=宇宙)である様に、人間も物理的、精神的に一つの宇宙である。故に、人物を描くことは画中画のように、宇宙の”入れ子”構造になる、と云える。画中に家や舟を描くこともあるが、これも同様に一種の”入れ子”的イメージである。

私にとってドローイングとは
ドローイングはペインティングのタブローに比べると、エスキース(習作)がそうであるように、表現力や物質的完成度が不十分に見えるかも知れない。
然し、素材と表現の潤色で見え難くなった、絵画の始源にあるヴィジョンの面目を、より伝えられる可能性がある様にも思われる。

「噴火のある室内」紙にアクリル、パステル、コンテ 333×242mm 2022

山神悦子 Etsuko Yamagami

Human figure/作中の人物について
サッカーが好きだ。自分はできないけれど、素晴らしいプレーにはテレビを観ながらつい身体移入してしまう。全力でボールを追いかけ、ボールを奪い、ドリブル、パス、そしてシュートする動きは自己陶酔の片鱗も無く、美しい。力強い下肢の動きに対し、体全体のバランスをとるために使われる上肢の動きは実にエレガントだ。そんな理由でhuman figureをドローイングするなら最高のサッカープレーヤー達を選びたいと思った。

私にとってのドローイングとは
自分が何を伝えたいのか分かっていて明確に表現できるまで描く事。
あるいは漠然と描いているうちに表現したいことが明確になってくる事。
放置しておいた長い時間の後、自分が意識せずに描き出していた事を見出す事。

「サッカープレーヤー」oil bar on paper 242×333mm 2022

本田和博

Human figure/作中の人物について
穏やかに晴れた冬の朝、罅割れたアスファルト、渇いた灰色の路地・・・。
幾つかの 落ちて干からびた枯れ葉が 時おり気紛れに吹く 空っ風の中で、
綺羅*綺羅と金や銀の光を纏いながら踊っている。
・・・カサカサッ・・・~・・・カサカサッ・・・
捉えどころのない微かな音(Harmony)を奏でながら・・・。
・・・・・・・・・
耳を澄ましていると、その狭間、遠くから聞こえてくるのは、この地から過ぎ去り、消えたものたちの囁き・・・?
・・・カサカサッ・・・~・・・カサカサッ・・・
・・・・・・・・・
静かで、少しだけ暖かい陽ざしの中、
さらに 私は 只々茫~っと視線を熱くする。
埋もれていた懐かしきものたちの光景が瞼に戻るように。 今。

私にとってドローイングとは
 珍しく目覚めの良い朝、背伸びする腕、手先、指先の動きで、空間に目に見える線がひけるとしたら・・・、自分にとって どれだけ無垢で気持ちのよい線がそこに現れるだろう・・・と、思うことがある。
 ところが、作画する、ドローイングするという現実は少し違う。
目の前には、一枚の紙等、物質感のあるもの(描画なんかとても出来そうにないものも含まれる。)が作画に抵抗するものとして まず立ちはだかる。
困った、困った・・・と、散散困り果てた挙句、意図的であろうがなかろうが、まず一本線をひく等、ある最初の行為を そこに入れてみる。
それで、「あれ?想像していたのと違うぞ!間違った・・・」と感じた時はもう遅い。・・・それを消そうが消すまいが、そこには何らかの痕跡が残ってしまう。
 では次にどうする・・・その時点で根性さえあれば、ない頭で考えてでも、オンチな運動神経を駆使してでも・・・次の一手、一筆へと、相変わらず、迷い、引っ掛かりながらででもなんとか作画ドローイングは進んでいける。
・・・そして、そこには、見た目だけではなく、画面の肌触り等、物質としてもいろいろな変化が生まれてくる。・・・そうした変化も意識しながら進んでいく。
・・・まるで掌の山登り・・・山頂(完成)を目指すドキドキの山登り!・・・の様。
なので、常々、心も体も健康でいなければなあ~と思っている。(適当に、程々に、)
・・・こんな時代・・・の片隅、向い風、横っ風なんかも、けっこう浴びながら・・・。
―どうしようもなく、こういったことが、私のドローイングのようです。

本田和博 二千二十二年 十二月

「坂を登る人」雁皮紙、トレシングペーパー、アクリル絵の具、墨、鉛筆 218×159mm 2022

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