黒須信雄
虚空見(そらみつ)
2018/9/22(土)- 10/7(日)
12:00 - 19:00 月、火休廊
黒須信雄 経歴
アーティストトーク
9/22(土)16:30 - 17:00
オープニングレセプション
9/22(土)17:00 - 19:00
美術鑑賞ワークショップ
「抽象絵画を楽しむ」
10/6(土)19:30―21:30
2018年ギャラリー惺個展によせて 黒須 信雄
絵画の実質は虚在である。それ自體は認知し得ない。然るに一方で、絵画は実體を有し、それも亦、単に仮構なのではない。実的実體を通じて虚的実質が顕現するのである。絵画に独特なこの構造は、無極點(ゼロポイント)を核とする実―虚対峙から招来される。留意すべきは実と虚が二者のみでは対峙し得ず、無極點を媒介とする謂わば三位一體を構成することである。
無極點を挟んで虚は実と等し並みの広大な領域(無論空間的な意味でなく)を有するが、存在者の実的限定性に基づく実から虚へのヴェクトルは、無限の終わりなき、従って非確定的且つ無分節的な〈極點〉に於て拡氾の反転としての収斂を以て再び無極點に至ることになるが、此処には実との接點がないゆえに虚―虚対峙となる。とすると、より普遍的な構造とは、実と虚の対峙ではなく、寧ろ無極點を媒介とする三位一體である。この三位一體構造は、概念的に規定されるあらゆる対峙に内在し、悉皆を結ぶ。無いものを把捉し不可能を実践し得るのは、実的世界にあって実在のみに根拠を置かないこの三位一體構造の錯雑きわまる絡まり合いのためであろう。
実際、虚―虚対峙は現実裡に在る者にいっかな接點を持たないが、三位一體構造を実―実対峙へと応用することで、虚―虚対峙を不可能的に〈実践〉し得る。実と実の対峙とは、云うまでもなく実に属する〈もの〉同士の対峙ではなく、実の全體と全體の対峙である。(注)それには当然ながら、存在形式転換が前提される。唯一なるものに対峙はない。
絵画が実―虚対峙から発して虚―虚対峙をも孕み込まざるを得ないのは、存在論的遡行意志に基づく存在形式転換を成立基盤として持つからである。とは云え、無論、実―実対峙のみでは絵画を絵画たらしめない。絵画に於ける存在形式転換は絵画自體に収斂されねばならないのである。その収斂にこそ、無極點を核とする一切の往還運動乃ち無限階梯の顕現が生成消滅する。真個の意味で、絵画は〈存在しない〉ゆえに〈存在する〉。実と虚に亘るこの構造的特性こそ絵画の本質であり、〈存在と存在するのあわい〉延いては〈存在と非在のあわい〉を照射するものである。
(注)実―虚、虚―虚、実―実の対峙の形式はそれぞれ異なる。虚には実に於けるような存在形式はない。従って、全體と全體の〈差異〉と云うこともあり得ない。寧ろ虚にとって〈差異〉は内在的である。虚―虚対峙と実―実対峙は三位一體構造に於てこそ反響し合うのであり、直接的関与はない。