2023年Gallery惺SATORU 個展コメント
黒須 信雄
〈内容〉や〈意味〉とは些かも関わりないものとして、それでも『九鬼文書』の根源神から作品タイトルを引照したのは、〈獨神〉のさかしまなる投射を仮設する必要に促されてのことである。一義的に実虚対峙の結節點に存在形式転換として顕現する絵画は當然ながら実體的に未成であって、それはプレ構造及びメタ構造として鏡映的に重層化されているが、その二構造は拠って立つ基盤を異にするがゆえに差異的にしか鏡映関係を結び得ない。
水面を例えとしてみる。一定の容積を有する水が外界に接する〈場〉を〈外なる表面〉とし、水の内部から見たその〈場〉を〈内なる表面〉とすると、水面とは異相の表面の重層として捉えられる。何となれば、〈内なる表面〉は水の内部に属するがゆえに物體的表面とは異なるからである。この差異的鏡映関係はプレ構造とメタ構造の関係に近似する。とは云え、相似を成すわけではない。例えば、絵画には内部から眺め得る〈内なる表面〉は存在しない。換言すれば、内部構造を内部から把捉する方途はない。
従って、絵画に於ける内的(=プレ)構造は、一旦、外的(=メタ)構造に預けられ逆算的な行程を経て己れに至るよりない。これは現実裡にあっては、絵画が自らを無極點(ゼロポイント)として実虚及び未成既成の対峙に於て双方向的な無限連鎖の動態であり続けると云うことである。尤も、この動態は更に複数の三位一體構造(実実・実虚・虚虚、前前・前後・後後など)として展開されるので、無限連鎖が線形的に形成されるわけではないことは附言しておく必要があろう。
絵画に於てプレ構造がそれ自體として〈強度〉を〈意志〉するとき、絵画は顕現の純化と云うヴェクトルを賦与される。それは〈可能の不可能的希求〉若しくは〈不可能の可能的希求〉であり、〈強度〉を〈境度〉として意志は非意志と結ばれる。
2023年4月10日
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