
佐藤万絵子
ラブレター投函、踏みとどまり
(わたしがてがみをかくところ)
2025/2/1(土)- 2/16(日)
12:00 - 19:00 月、火休廊
interview
インタビュアー 田中龍也(群馬県立近代美術館)
協 賛:(株)ユポ・コーポレーション
いつも、アトリエでするように、病室の地べたにしゃがみこんで描き始めた私に、ほんとはいけなそうだった小さなテーブルを、あわてて用意してくれた婦長さん。
たっぷりと水を含んだ筆に水彩絵の具をのせて、紙にのせると、紙が吸い込んでゆく絵の具のはやさといっしょに、わたしのこころもひろがってゆく。今描ける大きさで、描いた。最初しばらくの間は、単語帳のサイズにしか描けなかった。ゴールは見えないまま、少しずつ大きな、次の新しい紙を用意して、1枚ずつ描きつづけた。むさぼるように水彩を描き続けた。表現は1000枚を大きく超えた。
大江健三郎の云う「個人的な体験」に過ぎないが、私の40代には3回の入院と手術があった。そのうち、深い精神的危機のなかで、2人の医師や医療従事者らと出会ったこと。
彼、彼女らは仕事で私を救ったが、患者という役柄を担う、受け手であるひとりよがりな私には、仕事と私事の区別はほとんど無かった。特に私の危機を救った医師は2人とも、「絵のことは全然わからないけれど」と言った。そのことに、なにか申し訳ないような気持ちと、今のままじゃ伝わらない、伝えたいと思ったことは、大きい。自分で自分を救った水彩絵の具との時間、「自分を救う絵」という新しい考えも大きかった。私の制作は変わるかもしれないと思った。それでも、描ける未来が来て、ほんとうにわたしが見たいものを作ろうとすると、私の制作する手は頑なで、なかなか変わらない。
せめて、私にできることは、伝わらないと思った崖を感じ続けること。
ポストの前で、踏みとどまる。伝わらないということを引き受けて、投函できるかどうか。
でも、その時、小さな机を用意してくださった婦長さんには、わたしが何を描いているのかではなく、わたしが絵を描くことを必要としていることの切迫感は、正確に伝わったのだと信じている。
わたしは彼女に私は作家だとは伝えていなかった。でも、その時、彼女にはわたしの描きたい気持ちが一瞬で、まるごと伝わったのだと、信じている。
その、展示会場の外で、描きたい気持ちが伝わったということ、描きたい気持ちを受けとめていただいたということの、ありがたさは、その尊さは、わたしのこの9年で得た、たからものだ。
2025年1月地点より。
佐藤万絵子