版画天国Ⅸ

2026/3/7(土)- 3/28(土)
12:00 - 19:00 月、火休
*最終日17時迄

有坂ゆかり 経歴
黒須信雄 経歴 
小林良一 経歴 
平埜佐絵子 経歴 
本田和博 経歴

ごあいさつ

「版画天国」は、版画を専門としない主に画家や彫刻家、若しくは版の原理性に深く根差した制作を続ける版画家などによる企画版画展で、なびす画廊で3回開催後、ギャラリーSIACCAにて4回、今回Gallery惺SATORUでは2度目の通算で第9回展となります。

 展覧会名は料治熊太著『谷中安規 版画天国』から採っています。それは、高度に精緻な技術を駆使した専門版画家の仕事に敬意を表しつつ、例えば創作版画の時代に見られた、版を写し取ることによる反転・転換の驚きと喜びを、何より版画の原義と考えているからです。そのため本展には、広義に版画と捉えられるものならば、例えばデジタルプリントもフロッタージュも手型や足型も人拓も寺社仏閣で配布されるお札のようなものもすべて含まれることとなります。

 版画を巡っては複数性や間接性などさまざまな観點からのアプローチが可能ですが、いずれにしても基底に転換の形式の問題があり、絵画や彫刻に於ける物質から非物質への転位・転換とどのように相違し通底するのか、またそれぞれの範疇を超えた互換的転位は如何にして可能なのか、探求されて然るべきことであると考えます。

 版画の原義性を注視することは、殊に画家や彫刻家にとって絵画や彫刻などの原義性をもおのずから浮上させることになり、版画と云う平生と異なる表現方法に触れることは画家や彫刻家の本来の仕事の根底を照らすことにもなるのではないでしょうか。

 今回展にご参加頂いた有坂ゆかり・小林良一・平埜佐絵子・本田和博の各氏、当企画の主催者Gallery惺SATORUの島田夏於氏に深く感謝致します。              

黒須 信雄

有坂ゆかり

「花」エングレーヴィング、ドライポイント、水彩、鉛筆、紙 29.5×21.7cm ed.7 2026

私の制作のテーマの一つは、移り変わるイメージを作品に留め置いて表現することです。専門は油彩ですが、版画作品に魅了され、銅版画等を試作したことがあります。イメージのメモのような、エスキース的な試作ですが、私なりに、鑑賞だけでは得られない銅版画の奥深い魅力の一端に触れることができたように思います。古今東西の銅版画の作品を見るたびに、微細で繊細な線や独特の質感、複雑な陰影、黒色の類をみない美しさに感銘を受けています。今回の展示では、以前途中まで試作した未完成の銅版画に、新たなイメージを水彩等で着彩、加筆したり、モノタイプ等で制作しました。

有坂ゆかり

黒須信雄

「Rhizome A-1」紙版画 29.0×45.0cm ed.1 2025

擬態・不完全性・アナクロニズム

黒須 信雄



 版画の形式媒體としての特質はまず複数性と間接性にあるが、それらは當初から表現様式の実質として措定されたわけではなく、寧ろ機能的要請乃ち複製技術と云う側面から招来されており、版画なる形式は抑〈表現〉と呼称される処の内的要請に根拠を持つと云うより祖型の複製普及なる外的素因を端緒とするものであろう。複数性と間接性が表現実質へと据えられたのは概ね、さまざまな印刷技術の向上により複製技術として顧みられなくなった結果なのであって、必ずしも自律的表現様式への希求がそれを齎したわけではないのである。無論、このこと自體は否定的に捉えるべきではなかろう。何となれば、表現への志向を持たずに表現実質を固着させることは版の間接性が本質的に擬態だからこそ可能なのであり、そのことは亦間接性に複層的な形式転換を内包させるからである。尤も、これは絵画に見られる如くにそれ自體として存在論的形式転換に関わるものではない。版画の間接性と複数性は、中間項としての版やエディションとは全く異なるもので、寧ろ〈もの〉としての版画の擬態的外延である。それはおそらく表現意志とは相容れない。とは云え、版画の概念規定には階梯性があるので、表現要素を排斥するものではない。但し、或る種の不能性の刻印は免れ得ない。つまり此処で問題となっているのは〈認知する〉と〈存在する〉の関係なのであって、些かたりと存在論的遡行意志を喚起し得ないのである。 

 飽くまで表現のための技術としてのみ版画を捉える限り、かくなる版画の原理性が顧慮されることはなかろうし、それで版画制作が不可能なわけでもないが、版画概念が中核として孕む複層的認知の外在的内在性に鑑みた場合、矢張り不能性としての擬態的外延を避けて通ることはできない。何ゆえに版画にはエディションがあるのか。単に複製技術の残滓であろうか。もっと精確に複製する方途が幾らでもあるにも拘わらずひとつの版から敢えて複数部の版画が刷られるとすれば、それらが同一の画面ではないことを前提しているか、つまり複製としての不完全性を表白しているか、若しくは旧態依然のアナクロニズムを標榜しているか、そのいずれかにしか積極的な意味は認め難いのではないか。そう、これは逆説的ではあっても、版画に於ける最も能動的で積極的側面なのである。
 
 今回は、この観點から版画を捉え直してみた。尤も、〈版画として〉特殊なことをしたわけではない。技法で云えば紙版画とステンシル、ごく素撲なものである。ただ、紙版画に関しては、版にインクを乗せて刷るのではなく、フロッタージュの方法で一枚一枚が全て異なるように刷った。こうした場合、版はインクによって方向性を狭められることがないので、刷られたもののいずれともそれぞれ別様なかたちで等価な関係を維持する。これは謂わば、版と版画の関係をできるだけ固定しないことによって認知の複層の間隙が如何に現出するかの実験である。ステンシルの方は、脚本家の雨庭有沙さんの短編小説を文字の儘に版画化し同時にその内容から喚起されたイメージを挿入したものだが、これは一義的には言語的記号を形象的記号へ変換する方途の模索である。此処では文字自體が形象であり挿画的な図像と等価に扱われており、亦二十枚ほどの版画が蛇腹状に全て繋がれていることで、全體としてひとつの図像を呈示するように構成されている。一方でこれは、前に挙げた積極的側面のなかでも殊にアナクロニズムに焦點をあてたものでもある。小説を読むだけなら活字若しくは印字されたものの方が余程読み易いわけであるし、原画をコピーするなり注文印刷するなりすればもっと綺麗な仕上がりの同スタイルの作品が得られる筈であるから、今回のような作品制作の合理的根拠などないと云わざるを得ないのだ。では、何故創ったのか。それはまさに合理的根拠がないゆえである。不合理で無用で時代錯誤だからである。そして実の処、この不合理性こそが、版画を自體的なものとして、つまり絵画とは異なる位相に於て、然し絵画に於ける不可能性としての存在形式の地平に結ぶのである。此処に至って、版画は認知の間隙で自身を解體することを以て自身を超脱することで自身へ還帰するのだとも云えようか。版画とはかくも不自由で自由なものである。

                             2026年1月30日

小林良一

「交差するオレンジ」スチレンボード、ステンシル 38.0×28.0㎝ ed.10 2026

版画体験

完成の絵姿がなければ、版を作っていくことはできない。私の絵画制作は完成のイメージを持たずに始まることが多く、終わりもはっきりしないような進み行きになる。その結果、展示の直前まで絵具を触っていることが習い性になってしまい未乾燥のまま搬入、展示することも多かった。

こういう普段の制作プロセスとは異なる版画をやってみたいと思った。完成のイメージがあり、そこから分析、分解して版を作る。そして一版づつ摺り重ねて完成へと至る。この完成と始まりを往復するようなプロセスを体験する必要があるように感じた。

しかし、実際に版画制作が始まってみると、途中で版を追加したり絵具の表情が違うということで版種を変更したりと迷うことも多く、摺って仕上がっていくという快感に辿り着くにはけっこう時間がかかった。そして何より面白かったのは、試し摺りや勘違いから現れたイメージの断片が、絵画制作に新たなきっかけをくれたように感じたことだった。

平埜佐絵子

「さき」木版、紙、アクリル 19.5×13.3cm ed.6 2025

⽣命の循環の中にある美しさに圧倒されながら、普段は油彩で制作をしています。油絵の具の厚さや薄さ、拭き取ったり剥がしたりという⼯程 がキャンバスの上でのヴァルールとなることで、その”美しさ”を表わす助けになっています。 ヴァルールのように画⾯に現れる⾝体的な要素が少なくなりそうな版画表現において、どうしたものかと思い、分かりやすい構図としてのルー プを採⽤しました。植物の有機的な形を集めてループさせることで、複雑に関係する物事のシンプルな循環の美しさを表現するように努めまし た。シンプルな構図のものは、制作当初は物⾜りなさを感じたのですが、油彩にはない潔さと軽さが今では好きです。

本田和博

「白昼夢~眼のある風景~」木版画 22.0×36.5cm ed.1/6 2026

人間、、って、じわじわと真綿で首を絞められたり、少しずつ外堀をうめられると、感じないものなんだろうか、、痛みとか!? 自らの危機に、、。そんなことを昨今つくづくかんじている。そんなことより、(今日の雨~じゃなかった、、)本田は、自作タブロ-の一筆、木版画の一彫り、、どうしても、いらぬ 力 こもってしまうのです。(後戻りできない)身体や心の痛みとともに、、。~ 紙を優しく扱いなさい、、~等 、昔 よく いわれ、、~そうか、紙や素材にもそれぞれ主張あるんだしな~、、。少し気をもちなおし、自分、丸くなったか、(かな?)、それからは、素材も意識していたような気もします。でも あまり変わらないです。、、血、汗、悲しみ滲む 人一人短い人生、、。  直接 関係ないとは思いますが、近い将来、、~赤い紙~が、若い人達に スマホ アプリで、届いてくる~、。そんな時代に は、受け取り方解んなくて、サポートに相談しまくる、本田みたいな人 いないんだろう な~。

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