大城夏紀 Natsuki Oshiro
言葉と作品の関係について/制作の中で欠かせない言葉
奈良時代の歌人である大伴家持の和歌(万葉集)をきっかけとしたドローイングを展示します。 写真や絵ではない、字数が限られた言葉を通して見る1200年前の風景には余白があり、どこまでも広がるロマンと、複数の可能性、あるいは複数の真実を予感します。
ドローイングも、例えば自転車に乗りながら目に入る風景や、授業中の窓の向こうのように、明確なゴールを定めない、通過地点ゆえの様々な可能性を内包するものだと思います。
1つの和歌では、5字や7字の言葉が重なっていくことで、 何もない空間に少しずつ場面が展開され、視点の動きが生まれます。
紙を折り、折った部分を面で塗り、面を見ながら模様を描く。 絵と模様、印刷物の裏表、折り紙と茶室の下地窓、構造と装飾。 和歌の中で言葉が言葉を呼び、そしてお互いが複雑に関連して成立するように、そして、もうひとつの可能性を消さないようにと考えながら、紙のドローイングと向き合いました。
広沢 仁 Jin Hirosawa
新木安利『サークル村の磁場』の中で森崎和江の発見について述べています。彼女は、妊娠・出産した経験から「私が子供を産んだ」ことと「子供が私から生まれた」こととの重層した関係を言い表す言葉の欠如に気づき困惑しますが、その後、その感覚は「産み/生まれる」という言葉に着地させ、それを「二重唱」と呼んでいます。新木はそれにコーラス、ダイアローグ、ポリフォニーとルビを振りますが、しびれるような言語感覚で美しく感動的、受動でも能動でもない中動態を思わせる豊かな喚起力を持ちます。図々しく言葉を借りて絵画は「作り/創られる」二重唱(ポリフォニー)!と言いたくなります。新木は続いて「男の文化や社会の構造には、子のいのちとわたしのいのちの、つまり「あなた」と「わたし」のエロスの二重唱という細部が欠けている。男は女でさえ従属するものとみなして、母胎/胎児の状態を考えてこなかったから、言葉がない。」といいますが、これは全面的に正しい。現在中高年男性によって占められた「独唱」の政治空間では、いのち(コロナ対策)は放置して経済(利権)を優先し、阿諛・嘲弄・恫喝以外に語る言葉をもちません。で、すぐキレる。森崎和江ならこう言うに違いありません。みみっちい。
絵を描くとき、みみっちくならないよう気をつけています。
山神悦子 Etsuko Yamagami
key wordとしてのリズム
制作しながら画面を音楽的な要素に置き換えて考えることがしばしばあります。線はメロディーに、色の組み合わせはハーモニーに対応します。そして最も基本的で欠かせないのは「リズム」です。個々人が持っているリズムは生活のあらゆるシーンで様々な形で表れますが、それを意識的に洗練させる事で、アートになると考えています。リズムは音楽を始めとして映画、演劇、舞踏、文芸、絵画、彫刻など芸術全般にとって必要不可欠な要素ですが、スポーツ関連の記事やニュースにも「リズム」という言葉がよく登場します。「攻めのリズムが良いね。」「今日は自分のリズムが出せなかった。」「リズムに乗れたときとそうでないときでは、記録に歴然とした差が出る。」など、心身がうまく合致して無心になった時に自分本来のリズムが出て、良い結果に繋がるようです。 今回の展示作品では、モチーフから感じられるリズムを私の生来のリズムによる描線の動きで表現したいと思いました。ドローイングはペインティングより要素が少なく、小さいものは短時間で制作するため、アスリートが言うような「リズム」が画面に現れる様子がはっきり分かるかも知れません。
2021/01/29 山神悦子
好宮 佐知子 Sachiko Yoshimiya
言葉と作品の関係について/制作の中で欠かせない言葉 等
言葉を読むことで想像し、何かを感じることと、作品を鑑賞し何かを感じることは、同じことだと考え、言葉は絵を描く時と同じ気持ちで書きます。
日々生活していくなかで目にする光景を描いているので、自然 は常に実感し、いつも意識しながら制作しています。